週末の天使

大好きな家族とともに過ごせる週末がぼくにとって一番の楽しみ。
奥さんも娘も好き。だけどわが愛犬のマディちゃん、君こそぼくの週末の天使。

ミニチュアダックスフントのマディ+好きな音楽・本+横浜・鎌倉の話題のブログです(since Sept.2005)
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退却ノススメ
「やわらか戦車」が気に入っているのは「戦力ゼロ」と「まず退却ありき」なことだ。

彼らは兵器のくせに殺傷能力がない。

猫にさらわれたり小学生にいじめられたりしている。

そしていつも退却のことばかり考えている。

人によっては軟弱だとか情けないと思うだろうが、処世術としてひとつの賢い選択だと思う。

「猪突猛進」とは正反対の生き方。

ぼくは逆にかっこいいと思う。
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必修科目の履修もれについて
全国の多くの高等学校で、必修とされている科目を意図的に履修していない、いわゆる「履修もれ」が問題となっている。

現役の高校生については補修授業という形で体裁をつくろうことになったが、すでに卒業した生徒についてはどのような措置をおこなうのか不透明である。

しかしどのような形にせよ割り切れない思いがぬぐえない。

「何を今さら」という思いと、なぜ履修もれが問題なのかについてである。


前者について、ある高校では調査の結果4年前からカリキュラムに組まれていなかったという。

形の上ではそうだろう。

でも本当に4年前からなのか?

自分の高校時代を思い返すと、日本史の授業時間に受験科目である世界史の勉強を一番前の席でやっていた記憶がある。

また体育の時間には有志だけでサッカーの練習をしていたが、ぼくは英単語のカードをめくっていた。

いずれも教師に咎められたことはない。

これって形の上では履修したことになるが、実質的にはどうなのか?

つまりずっと前から受験シフトの授業がまかりとおっていたということで、ここ最近になって学校側がおおっぴらにやりだしたということではないか?


後者についてだが、学習指導要領の重要性に疑問がある。

学校教育法施行規則の規定が根拠であり、厳密には法令ではない。(しかし判例によると一部不適切な表現があるものの全体的には法的拘束力を有するとしている)

そもそも学校で教える科目は固定するべきではなく、時代その他によって変化するのが普通であろう。

それゆえ学習指導要領は何度も改訂されている。

しかし改定は数年に一度であり、移り行く時代に適切に対応するためには学習指導要領を各学校で柔軟に解釈し適用していくことが必要なことではないのだろうか。

現在の学習指導要領にあわないからといって、単位不足でその生徒の卒業まで犠牲にしなければならないものなのか?


世の中の不公平感は「決められたことをやっていない」ことよりも「必修科目の時間を利用して受験に有利な授業をおこなった」ことにあるのではないか。

しかし補修授業をおこなったところで有利に授業をおこなった時間が帳消しになるわけではないだろう。


何が正解かはわからない。

ひとつ言えることは生徒には落ち度はないということ。

だから生徒の負担になるような方法はとるべきではないということだろう。
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中田英寿氏引退に思う
ついにこの日が来てしまった。

中田英寿氏が引退を表明した。

ある程度予測されていたことではあるが、現実に答えをつきつけられてやはり驚いた。

驚いたのは引退そのものではなく、日本時間7月3日の午後9時を選んだことと、自らのホームページに表明するという独特のしかたにである。

彼の美学からすれば記者会見はカッコよくないし、テレビは局の都合のいい部分しか放送しないから、ホームページが最も合理的かつ効果的な手段と判断したのだろう。

実際、あるテレビ局は全文を放送したし、的外れな質問にも答える必要がなく、彼の真意はファンにうまく伝わったと思う。

彼ほどサッカーを愛し、ファンを大切にし、日本のサッカーの将来に責任を感じている人間はいなかったろう。

それはぶっきらぼうにも思える今までのインタビューの端々にちりばめられていたが、合理的で感情を抑えた表現だったためぼくたちが気づけなかっただけだ。

今後どのような分野で活動するのかは明らかにされていないが、どんなフィールドでも一流になれる素質を持っていると確信している。

これからが楽しみである。

今さらながら思うのだが、ぼくはサッカーファンというよりも中田氏のファンだったのだなあと。
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欠陥エレベータ
エレベータが問題になっている。

高層化された建物に住む現代生活には欠かせない機械であるエレベータ。老人から子供まで365日24時間利用するという意味で自動車よりも重要な乗り物と言える。
それだけに安全性・信頼性は万全でなければならない。

ブレーキを踏んだのに急発進する自動車や、ギアを前進に入れたのにバックする自動車は欠陥車である。
事故を起こしたらメーカーは補償する責任があるし、そのような自動車を作らないよう改善するだろう。
(三菱自動車はそうではなかったが)

われわれがエレベータに乗る時、行きたい階にすばやく安全に運んでくれることを期待する。閉じ込められたり、ましてや命を奪われるなど考えることはない。
それはこの機械に対する長年の信頼によるもので、メーカーは信頼にこたえるべく努力をしてきたのだろう。

ところが今度の事故で信頼が崩れてしまった。
メーカーは事故が頻発しているにもかかわらず根本的な原因を追究することはしないし、今回の重大な事故に際してもメンテナンス業者のせいにしてまったく責任を感じていないようである。

「ありえないこと」では済まされない。欠陥エレベータを野放しにするかぎり犠牲者が増えるばかりである。

日常生活への影響という点では航空事故や鉄道事故よりも重大である。まず行政が率先して調査を行い、改善策を実施すべきではないか。そしてこのような欠陥が起きないような法制度を整備すべきではないだろうか。

ぼくたちも安易にエレベータに頼ってはいけないのかもしれない。
低層階なら階段を利用しよう。
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JR西日本事故から1年
あれから1年が経った。

JR西日本の事故は衝撃的だった。

死傷者の数はもちろんのこと、安全と思われていた公共交通機関が起こした人災であることが。

利益を得るために安全をないがしろにしてしまったJR。

その民営化を強力に推し進めた自民党。

無茶な民営化のツケがこんなところで出るなんて。

一瞬にして日常生活から突然切り離されてしまった人たちの悲しさや悔しさはどうすれば償うことができるのだろう。


恐ろしいのは事故を起こした当事者が今でもまったく無責任であること。

事故から1年経った今でも安全対策が十分とはいえない。

たとえば安全に対する設備投資はあまり増えず、ATSの普及率が30%台そこそこだという。

悪名高い「日勤教育」は中止したらしいが、会社の体質が変わったわけではない。

なのに今日も電車は走っている。


私企業は利益をあげてさえいればいいのだろうか。

公共交通機関としての安全に対する義務はどうなってしまったのか。

このままではまた事故が起こっても不思議はないだろう。
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リクルートスーツに思う
昼休み、サンマルクカフェでお気に入りの「チョコクロ」とブラックコーヒーを購入し、禁煙席の奥に座った。

右隣の席をふと見るとリクルートスーツ姿の女性がテーブルに紙を広げて思案している。それはA4横サイズの小さな履歴書であった。何か1行書いては止まり、次の行に移るまでにとても時間をかけている。せっかく書いた行を修正テープで消したりもしている。
(履歴書を修正してもいいのだろうか?)よほど書くことに困っているのだろう。

きっと何社も回っているけど結果がはかばかしくないのだろう。暗い表情に疲れと諦めが見て取れる。

今の大学生は大変だなあと思う。
入学した瞬間から就職活動がスタートしているようなものである。サークル、ゼミ、セカンドスクールなど苦労したあげく、3年のときから企業を回らなければならない。自由な学生生活の期間はごく短い。

思えば25年前のぼくの頃の就職活動はのどかなものであった。「就職協定」のおかげで10月になるまでは企業を回ることはなかったし、有名企業から案内のパンフレットが山のように届いた。自分を見つめることもしなかったし、どこかに就職できるものだと思い込んでいた。

そんな甘い考えの報いか、履歴書を40通書くはめになった。
結果、「内定」を得られたのは公務員関係の2つと現在勤めている企業のみであった。それも1年留年してのことである。

今思えばぼくは方向を誤っていたのだ。試験勉強が好きなのだから、試験で決まる就職先を探さなければならなかったのに、いきなり面接で落とされる企業ばかりを狙っていた。

さて、隣のリクルートスーツの彼女は1時間かかってやっと1枚の履歴書を書き終えたらしい。カットした写真とスティック糊まで用意している。次には名刺大のカードを取り出して、細かな字で何やら書き綴っている。

これだけ時間をかけたのに、次の訪問先でもきっとうまくいかないだろう。かわいそうだが、彼女には何かが欠けているのだ。なぜ就職するのか?なぜその訪問先なのか?そこで何をしたいのか?
これらの問いかけに即座に答えられれば別だが。きょうも空しく一日が過ぎて行く。

左隣に座った大柄な女性もリクルートスーツだった。彼女も少し大きめの履歴書を広げている。同じ企業へ行くのだろうか?テキパキと書類を整理して時間の使い方が上手なようだが。

本来個性あふれる若者たちが、同じ格好で同じ場所で同じ行動をしている。何かおかしい。

と、いろいろ考えながら彼女たちの健闘を祈りつつ、店を出た。
春とはいえまだ風は冷たかった。
いつか笑顔の彼女らを見ることができるのだろうか。
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書き言葉コーパス
「朝日新聞」2006年3月1日(水)夕刊の記事に興味を持った。

国立国語研究所が書かれた現代日本語のデータベース「書き言葉コーパス」を構築する計画だそうだ。2010年までに1億語を上回る規模を目指しているという。

コーパス(corpus)とは実際に書かれたり、話されたりした文章を言語活動の実態に沿って集め、分類した大量の資料のこと。
コーパスの構築はイギリスをはじめ、各国で進められているという。

今度の日本語のコーパスは対象を1970年代から現在までに刊行された書籍や新聞・雑誌、法律、公文書とし、一部はインターネット上の文書まで広げる。

ITの発達で素材の収集は難しくなくなったが、課題が2つあるという。
ひとつは日本語の実態をバランスよく反映しているかということ、もうひとつは公開して誰にでも利用できるかということ。特に2つめの課題は著作権者の理解が得られることが必要だそうだ。

以上が記事の要約だが、ぼくとしてはぜひとも1億語を上回る世界一の規模で完成させてほしいと思う。

言語学の世界での金メダルをめざしてほしい。

なぜならこれが完成すれば日本語に大きな影響を与えるだろうし、大袈裟に言えば人類にとって大きな財産となるだろうから。

そもそも日本語の話し手は1億2000万人。これは話し手の数では中国語、英語、スペイン語、ロシア語、ポルトガル語、インドネシア語に次ぐくらいの勢力である。(インドの言語事情はわからないのでヒンディー語は除いた)

では書き手の数はどうだろう。識字率が高い日本はかなり上位になるのではないか。

さらに言語に対する国や国民の姿勢もある。

1億語を誇るイギリスのブリティッシュ・ナショナル・コーパスはイギリス人の英語に対する矜持をあらわしているが、アメリカン・ナショナル・コーパスは3300万語と少ない。

逆にギリシャ語のヘレニック・ナショナル・コーパスは3400万語、チェコ語のチェック・ナショナル・コーパスはなんと1億語もある。これは自分たちの言語に対する意識が高いことのあらわれであろう。

この特殊な言語が小さな島だけで1億人に話され、書かれていること、千年以上にわたって生き残ってきたこと、日本人がこの言語を使って高い文化を生み出してきたことは日本語にとって幸運なことである。

ぼくはこの日本語を愛しているし、これからも永らく生き続け、人類に足跡を残してほしいと思っている。
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空中3次元像
空中に3次元画像を描くことができる新しい技術が産業技術総合研究所などにより開発された。

(「朝日新聞」2006年2月8日夕刊の記事を参照)

「従来の3次元画像は視差などを利用して立体的に見えるようにしているだけだが、今回の技術は、赤外レーザー光をあてて発光する輝点を実際に立体的に空間配置しており、よりリアルな画像が可能になった。」(記事より)

簡単に言えば従来は2次元で表現された擬似3次元だったが本当に3次元で表現できるようになったということ。

これは将来の立体テレビ(立体映画)を飛躍的に発展させられる可能性を秘めている。

偏光メガネをかける方式は長時間見ると疲れるし、NHKが開発した立体ハイビジョンも視角が限られるし立体感が今ひとつ。

ところが今度の技術は従来の画面にかわって実在する空気中の分子が光るわけだから立体感はもちろんのこと、見る角度を選ばないしディスプレイやスクリーンも必要なくなるはずだ。

くわしくはここで解説されている。

年内に実際に空中広告を出す計画だそうで、非常に期待している。
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額に汗して
ライブドアの問題が世間を騒がせている。

ライブドア首脳陣の行為は法に違反することであるし、世間を騙す悪いことだったに違いない。

しかし堀江氏が時代の寵児として時代の閉塞感に風穴を開けた功績は忘れてはならないと思う。


ところで最近「額に汗して」という言葉をよく聞く。

この言葉を言う人にとっては、額に汗して働くことが価値あることで、そうでない労働はさげすむべきだという価値観があるようだ。

また、モノをつくる仕事を尊び、そうでない仕事を一段低いものとする考え方があるようだ。

はたしてそうだろうか?


資本主義社会では効率よく金を得ることが優先される。

農業よりも工業、工業よりも金融など第3次産業が成長著しいのは比較的容易に莫大な利益を生むことができたからだと思う。

額に汗して働くよりも、知恵を使えば大きな利益を得ることができるのが現代社会の利点なのではなかろうか。

また、額に汗しない労働には、別のリスクや不利益も当然あり、決して楽をして金儲けをしているわけではないと思う。


もちろん「額に汗して」営々と業務を行う人々を愚弄するつもりはない。

しかし額に汗して働く限り、得られるものも限度があるのではないだろうか。

まだ自分の中で整理できていないが、気になる言葉である。
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東証売買停止
1月18日、東京証券取引所がシステムの処理能力の限界を理由に売買を停止した。

ライブドアへの検察による強制捜査をきっかけに売買が急増したためという。

通常300万件程度の約定件数が限界の450万件近くになり、このままではシステムダウンになりかねないための緊急措置らしい。

強制捜査は「想定外」の異常事態とはいえ、ここで東証の危機管理の甘さがまたも露呈された。


そもそもシステムの能力をどこに設定するかは難しい。

コストと安全性のバランスの問題で、正解は存在しない。

普通に考えれば通常の1.5倍の処理能力の余裕は多いほうかもしれない。

しかし、限界に近づいたために突然売買そのものを停止させてしまうという回避手段はどうか。

利用者にとってみれば、迷惑な話である。

たとえば鉄道会社が「お客様が多すぎて定員を超えそうなので本日の運行は取りやめます」と言ったらどうなるか。

たとえば自治体が「システムの限界なのできょうは住民票を出せません」と言ったらどうなるか。

予防的な手段とはいえ、広い意味でシステム障害であり、事故であり、責任放棄といえるのではないか。

別の回避手段はなかったのだろうか。


東証は数ヶ月で処理能力を700〜800万件に増強するとしている。

時間がかかりすぎるし、能力の目標が甘すぎる。

景気が急速に回復して取引が増大すれば、あっという間に限界に達してしまうだろう。

今まで危機管理をないがしろにし、システム投資を抑えてきたツケが、最近の事件で一挙に噴き出したかのようだ。

日本の社会の情報システムに対する軽視がこのような事態を招いた遠因ともいえるだろう。
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